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多神教礼賛(アニミズム礼賛)
遅くなりましたが、愛のまぜご飯さんの「分離フェンス」から、お約束していたトラックバックです。
上記記事にコメントした内容をすこし整理したいと思います。

宗教、特に一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつという思いを日々強くしています。 ユダヤ教をはじめとして、イスラム教、キリスト教(一部を除く)、オウム真理教(補足: 松本智津夫に対する個人崇拝ですよね)、...

一神教は、自分の神が唯一であること、そしてそれを信仰することのみが安寧、幸福を得る手段だと教える。そうすることでしか信仰をつなぎ止められないのだとしたら、弱い宗教と言わざるを得ない。また、容易に(戦争に、金儲けに)利用されてしまう点も弱い。

それに対して多神教は寛容です。とくに私の神様は、自然の中にそこらじゅうに存在しており、
・全てのものに魂が宿っている
・自分が自然の中で生かされていることを感謝するように
・自分の命も人の命も生き物の命も粗末にするな
 (食べるためなら命を奪うのは仕方がないが感謝しながら食べなさい)
と教えてくれています。

これこそ誇れる宗教だよなー、でも人前ではいわないけどと思っていたところに、以下のような記事を見つけました。

毎日新聞 2004年6月5日 東京朝刊
オバさんの逆襲: 平和の砦=小林洋子

バックナンバーリストの1番下で、今にも消えそうなので、著作権法上まずいと知りながら全部引用します。世界平和のため見逃してくれよー。


オバさんの逆襲:
平和の砦=小林洋子

 東京都目黒区にあるB幼稚園はキリスト教の幼稚園である。この4月から、しばらく園舎改築のため近くの仮園舎に転居しているのだが、その仮園舎というのは、何とお寺なのだ。

 お寺は宗教法人として税制で優遇されているから地域社会に尽くしたい。仏教だのキリスト教だのと堅い事を言わず、困ったときはお互いさま、という双方の合意。

 子供たちがちいさな手を合わせて神に祈るとき、賛美歌を歌うとき、伴奏はどうするのだろうか、まさかオルガンの代わりに木魚で拍子を……想像を膨らましてクスッと笑う。

 「こんなことは日本でしかありえないでしょう」と地区のユネスコ協会長は嬉(うれ)しそう。私たちはクリスマスには神の子の誕生を祝い、大晦日(おおみそか)は除夜の鐘を神妙に聞き、初詣では神社でかしわ手を打つ。そんな自分たちを宗教に対して無節操だと自ら揶揄(やゆ)してきた。

 しかし、良いではないか。それは「鷹揚(おうよう)」ともいうのだ。アメリカとイラクの泥沼の戦いをはじめ、世界のあちこちでは日夜宗教の違いによる諍(いさか)いや殺し合いが起きている。そんな殺伐とした世界の中で、宗派も教義も超えて「困ったときはお互いさま」とお釈迦(しゃか)様とキリスト様が仲良く並ぶ。そういう日本の文化を、私は美しいと思う。

 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」。ユネスコ憲章の前文の思想を実現できるのは、力で征する米国ではなく、心で包み込むことのできる日本なのかもしれない。(コラムニスト)=毎週土曜日に掲載

いかがでしょう。これまで日本の宗教観は鷹揚だと言う評価はあったと思いますが、これこそが世界平和を実現する文化であると積極的に評価したものは見たことがないように思います。

人を殺せと命令する宗教は正しい宗教ではありません。
たとえジョンレノンが許しても、このuedaが許しません。

Nothing to kill or die for 殺したり命を捧げたりするのに値するものは何もない
And no religion too 宗教だってそう (生命を犠牲にするのに値する宗教なんてない)
     "Imagine"より

追記: 私の神様はMother Natureと呼ばれています。記事のタイトルもちょっと変えてみました。

追加トラックバック
瀬戸智子の枕草子さん 「宗教」
web-log nostalgiaさん 「11'09''01」
たまごの距離さん 「神を忘れて」
仙波眞弓のココロさん 「私の宗教」
petite fleur de cabochard (PFCさん - コメントも戴いています) 「神は妄想だ-宗教との決別-」補足
by yoshihiroueda | 2004-08-03 01:37 | 宗教
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